メキシコの旧超巨大都市テオティワカンを40年以上研究する日本人考古学者・杉山三郎

メキシコシティから北東へ約50km。観光客の多くが「メキシコのピラミッド」と聞いて最初に思い浮かべるのが、世界遺産テオティワカンだ。
でも、ここを歩くとすぐに妙なことに気づく。これほど巨大な都市を、いったい誰が、何のためにつくったのか。実は、現在も分かっていないことがかなり多い。
テオティワカンとは?「アステカの都市」ではない
テオティワカンは、後世のアステカが造った都市ではない。INAH(メキシコ国立人類学歴史研究所)によれば、都市の発展は紀元前後から進み、古典期にはメソアメリカ最大級の都市センターへ成長した。アステカがこの場所を知ったのは、都市が衰退したはるか後なのだ。
現在「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇の神殿」と呼ばれる巨大建築が、死者の大通りを軸に並ぶ。UNESCOは1987年にテオティワカンを世界遺産へ登録し、その都市計画と巨大建築が後世のメソアメリカ社会に大きな影響を与えたと評価している。
何度行っても、新発見あるテオティワカン
僕が初めてテオティワカンを訪れたのは、2019年7月だった。
当時はメキシコシティのメトロで Autobuses del Norte駅まで行き、その目の前にある北方面バスターミナル Terminal Central de Autobuses del Norte からバスに乗ってテオティワカンへ向かった。

途中、ギターを持ったミュージシャンがバスに乗ってきて演奏を始め、最後に乗客から小銭を集めていたことを今でも覚えている。
そして2019年当時は、まだピラミッドにも登ることができた。
太陽や月のピラミッドの長い階段を上まで登って、上から遺跡を見下ろす。今となってはできない体験だけれど、僕にとっての最初のテオティワカンはそんな場所だった。
それから仕事や観光で何度も訪れるようになり、数えてはいないけれど、おそらく20回前後は来ていると思う。
それでも面白いのが、2回に1回くらい、まだ新しい発見があることだ。
ほとんどの人が最初に目指すのは太陽のピラミッドと月のピラミッドだけれど、実際にはメインルートから少し外れた場所にも遺構があり、壁画などを間近で見られる場所もある。
公開状況もその時々で違うので、「前回来たときには入れなかった場所に、今回は入れる」ということもある。
僕自身、何度も来てから初めて知った場所がいくつもある。
その一つが、遺跡の近くにある洞窟を利用したレストランだった。

洞窟の中でメキシコの郷土料理を食べられて、メニューにはアリの卵(escamoles)のような、この土地ならではの食材もある。僕が訪れたときには、各テーブルから一人が選ばれ、洞窟の奥へキャンドルを置きに行くという体験もあった。
最初に来たとき、僕にとってテオティワカンは「巨大なピラミッドを見る場所」だった。
でも何度も歩いていると、むしろ気になってくる。
この巨大都市を造った人々は誰だったのか。ここではどんな人々が暮らし、なぜこれほど巨大な都市が生まれ、そして何が起きたのか。
観光客として何度も訪れている僕でさえ、来るたびに新しい場所を発見する。では、考古学者たちはこの都市の地下から、これまで何を発見してきたのだろう。
ここから、少し深くテオティワカンを見ていきたい。
最盛期は約10万人が住む「巨大都市」
「ピラミッド」というイメージがあまりに強いテオティワカンだが、本来ここは巨大な都市だった。宗教施設が並んでいただけではなく、人が暮らし、働き、交易し、政治や儀礼が行われていた場所だ。
Arizona State UniversityのTeotihuacan Research Laboratoryなどの研究紹介では、最盛期の人口は10万人規模に立ったと報告されている。都市域もおよそ20平方kmに及び、当時の世界でも有数の巨大都市だったのだ。
「誰が支配していたか」はいまだ不明
面白いのは、これだけ巨大な文明都市なのに、エジプトのファラオのように「この王が造った」と簡単に説明できないこと。文字史料も限られ、政治体制や支配者像について研究者の議論が続いている。
つまりテオティワカンは、観光地として完成された場所である一方、研究対象としてはまだ終わっていない。歩いて見える巨大建築の下に、まだ答えの出ていない問いが大量に残っているのだ。
その謎を40年以上追っている日本人
そこで僕が気になったのが、杉山三郎先生。メキシコの代表的な考古遺跡を、なぜ日本人研究者がこれほど長く研究しているのか。
杉山先生は長年テオティワカンで発掘・研究を続け、特に羽毛の蛇の神殿や月のピラミッドなどの研究で知られている。Arizona State Universityでは研究者としてテオティワカンの都市・モニュメント・政治社会構造を研究してきた。
ピラミッドは「墓」?それとも巨大な政治装置?
テオティワカンのピラミッドを見ると、つい「巨大な墓」を想像する。でも研究を追っていくと、建築、宗教儀礼、権力、都市計画がもっと複雑に結びついていたことが見えてくる。
杉山先生らの発掘研究では、羽毛の蛇の神殿周辺から多数の人骨や副葬品が発見され、国家的な儀礼や軍事・政治組織との関係が議論されてきた。月のピラミッド内部でも複数段階の建築と埋葬・奉納の痕跡が確認されている。
杉山先生に聞いてみたい
ここから先は、資料を読むだけではなく本人に聞いてみたい。40年以上ひとつの遺跡を研究すると、テオティワカンはどう見えるのか。発掘を始めた頃と現在で、最大の「常識の変化」は何だったのか。そして、まだ解けていない最大の謎は何なのか。
さらに僕が面白いと思うのは、日本人研究者がメキシコ文明の中心にこれほど深く関わってきたことだ。Japan × Mexicoというと企業進出や食文化の話になりがちだが、考古学の分野でも数十年単位の接点がある。
TokyoTacos View|観光地の後ろにいる「人」を発見
テオティワカンを「メキシコシティから行ける有名観光地」で終わらせれば、太陽のピラミッドを登って写真を撮って帰る場所だ。もちろん、それだけで年間に約160万人から180万人も訪れるのだから、観光名所としては十分すごい。
でも、その巨大都市を40年以上追い続けている日本人がいると知ると、景色が変わる。僕がTokyoTacosを通して探しているのは、こういう接点だ。場所そのものだけではなく、その場所の裏側にいる人、研究、仕事、そして日本とメキシコの間にすでに存在している長い線。
杉山先生には、ぜひ一度きちんと話を聞いてみたいと思う。もし実現したら、この記事の続きを一次取材として更新するつもりだ。




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