草間彌生はなぜメキシコでも熱狂を生んだのか――「作品で税金を払える国」から考えるアートとメキシコ

世界的な前衛芸術家、草間彌生さんが2026年8月14日、97歳で亡くなった。水玉やカボチャ、無限の鏡の空間で知られる日本人アーティストだが、メキシコシティにとっても彼女は特別な存在だった。
2014年から2015年にMuseo Tamayoで開かれた「Obsesión Infinita」は約32万人を動員し、早朝から人が並び、最終盤には美術館が36時間連続で開館するほどの熱狂を生んだ。
草間彌生は、メキシコシティでも「現象」だった
Museo Tamayoで2014年9月から2015年1月まで開催された「Yayoi Kusama. Obsesión Infinita」は、草間のラテンアメリカ初の回顧展だった。1950年から2013年までの100点以上を紹介し、メキシコ政府の発表によれば最終的な来場者は約32万人。最終週末には午前2時から列に並ぶ人まで現れた。
10年以上前の出来事だが、これは日本の現代アートがメキシコでどのように受け入れられたかを考えるうえで象徴的だ。日本で有名だからメキシコでも知られた、というだけでは説明しにくい熱量だった。
なぜメキシコはアーティストにとって面白い国なのか
メキシコで暮らしていると、アートが街の中にかなり近いと感じる。
巨大な壁画、グラフィティ、民芸、ファッション、音楽、建築。美術館の中だけでなく、生活の中に視覚表現が入り込んでいる。だからなのか、日本よりもアーティストとして生きることへの心理的な距離が近いように感じることがある。もちろんこれは筆者の肌感覚であって、メキシコの方がアーティストとして生活しやすいと単純に結論づけることはできない。
ただ、その感覚を調べていくと、メキシコには驚くような制度が実際に存在することが分かった。アーティストが、自分の作品で税金を納められる制度だ。
メキシコでは「作品で税金を払う」ことができる
メキシコ税務当局SATには「Pago en Especie」という制度がある。
対象となるのは、メキシコ人またはメキシコ居住の外国人で、造形芸術に従事し、自ら制作した作品の販売によってISR(所得税)やIVA(付加価値税)が発生する一定のアーティストだ。条件を満たせば、現金ではなく自分が制作した作品をSATに納めることで、その税務義務を履行できる。
これは「アーティストなら誰でも絵を1枚渡せば税金がゼロになる」という話ではない。
事前の手続きや年次申告が必要で、対象となる活動や作品にも条件がある。SATは、納められた作品が連邦政府、州、自治体などに配分され、公共の美術館で展示される仕組みだと説明している。つまり税制であると同時に、国のアートコレクションを増やす仕組みにもなっている。
「アーティストをどう扱う国なのか」という視点
筆者自身もメキシコでは税務上、アーティスト・独立技術者に関係する活動区分で仕事をしている。ただし映像制作や俳優などがPago en Especieの対象になるという意味ではない。
この制度を知って単純に面白いと思ったのは、「アーティストが税金を払えないなら特別扱いする」という発想ではなく、「作品そのものにも公共的な価値がある」と国家制度の中で認めている点だ。
メキシコにはDiego Rivera、Frida Kahlo、David Alfaro Siqueiros、Rufino Tamayoなど、芸術家が国のアイデンティティと強く結びついてきた歴史がある。街を歩けば、アートが政治、歴史、民族、宗教、商売と混ざり合っている。その土壌と、草間彌生のように一目で世界観が伝わる強烈な表現との相性は、決して悪くなかったのではないか。
日本人アーティストにとってメキシコは面白い場所なのか
草間彌生自身がメキシコを制作拠点にしていたわけではない。それでも、彼女の展覧会に約32万人が訪れた事実は、メキシコに日本のアートを受け取る巨大な観客がいることを示した。
日本人がメキシコを見ると、観光、タコス、遺跡、治安といった話に偏りがちだ。しかしクリエイターの視点から見ると、この国は別の顔を持っている。制作コスト、ギャラリー、美術市場、公共空間、税制、そして作品を見る側の文化まで含めて考えれば、「日本人アーティストにとってメキシコは活動しやすいのか」という問いは、かなり掘る価値がありそうだ。
草間彌生の死を、メキシコから考える
草間彌生さんの死は、日本だけの文化ニュースではない。少なくともメキシコシティでは、彼女の作品を見るために何十万人もの人が美術館へ足を運び、夜中から列を作った時代があった。
一人の日本人アーティストが、言葉も文化も違う場所でこれほど強く受け入れられた。その背景を追っていくと、メキシコという国がアートを社会の中でどう扱っているのか、そして日本人クリエイターにとってこの国にどんな可能性があるのか、という別の問いが見えてくる。TokyoTacosでは今後、この「日本人クリエイターとメキシコ」というテーマも掘っていきたい。




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